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ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序 TV版
空想近未来の東京で、人類は「使徒」という超物理的な謎の敵と戦っていた。主人公の現代的な少年シンジは、いままで距離を置かれていたのに急に父親のもとに呼び出され、エヴァンゲリオンという人型決戦兵器に乗って戦うことになる。90年代後半に社会的に大ブームを起こした新しいタイプのロボットアニメを、新たにリメイクして何作かの映画版にまとめるらしい第一弾。

ストーリーはテレビ版とほとんど同じで、私は既にテレビ版なら一通り見ているのだが、やっぱり引き込まれた。改めて見てみて、いくつか思ったことがあるので書くことにする。

この作品はとにかく必死な登場人物ばかり描かれるので、視聴者はそういう彼らの感情の起伏みたいなものに引きつけられるのではないかと以前の私は思っていたのだけど、もっと根本的な理由があるのではないかと今回見てて思った。

主人公の少年シンジが放り込まれる境遇というのは、人間誰でも体験したことだと思う。人間は社会的な生き物だから、好き勝手に振舞うことは出来ない。たとえば学校に行かされて、机に向かって静かに授業を受けなくちゃいけない。しかもそれを自発的な意志として取り込まされる。イヤなら逃げればいい、なんて周りは言っておきながら、そうせざるをえない状況にさせていく。宮崎駿が「千と千尋の神隠し」で主人公の千尋に「ここで働かせてください」と言わせる描写もここに通じるものがある。じゃないと文明社会が維持できないのだからしょうがない。

この作品はそういう誰でも心の奥に押さえてきたものをチクチクと刺すんじゃないだろうか。自分の現在のありようが脅かされ、自己肯定したくなる。主人公のシンジを見ると、過去に自分が通り過ぎたことを色々思い起こさせるんじゃないか。多分この作品を見た多くの人はシンジのことが嫌いになると思うのだけど、それは過去の自分を嫌う心理的な機制が働いているのだろう。

陽電子砲に電力をまわすために国家的に総動員体制がとられ、選ばれた一握りの優れた人たちが、必死になって頭を使って作戦を考え、敵を倒すという一つの目的に向かって団結して行動する。こういうことにあこがれてしまう。

戦闘のアニメーションはいま見ても色あせていない新しさがある。最先端のCGをただ使ってもここまで質量を伴ったリアリティある絵は作れない。物体が壊れたり溶けたり歪んだりする描写が恐ろしくリアルでため息が出る。

一方で、いま見てもやはり綾波レイというヒロインはおかしいと思う。この作品のラスト(と言っても何部作の途中なのだけど)の主人公シンジと綾波レイのやりとりを見て首を傾げた。なぜこんなヒロインが人気なのだろうか。視聴者が自分の幻想を投影しやすいよう人物造型にポッカリと穴を開けることで、多くの人がこのキャラクターに多種多様な像を投影してハマったのだろうか。人気者の法則として、一部の層からの熱狂的な支持よりも、とにかく幅広い層からの支持が絶対不可欠だということに因るのではないかと思った。

ラスト、カヲルと思われる人物と、ゼーレという謎の組織との思わせぶりな対話シーンがあるのだが、それを見て私は、ああ製作者さんたちは今回も物語を収集させる気はないんだな、と後味悪く思った。この人たちは自分たちが何を作っているのかよく分かっていないんじゃないかと思ってしまう。今回のリメイクで納得のいく説明はつくのだろうか。
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