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新着コメント 登録 |  | ひとつ誤解があるようです2007年6月25日芋愚
 「依存」しあわない=独立ではないんですよ。
 「人間っていうのは1+1を3にも4にも出来る」
 私もそう思う。
 
 だが、「依存」をしあう状態では、決してそうならないと思う。
 
 
 30代で未婚で子供がいない「負け組」になりそうだから結婚したいと言う人が
 結婚して、うまくいくだろうか?
 そんな「クレクレ」全開で関係が成立するとしたら、
 相手も同じ想いを抱えた人間だろう。
 
 ターン制で愚痴や他人の悪口を言い合う飲み会や、
 互いの歌なんかに興味はないけども、その場を共有するカラオケとか・・・、
 そんな感じのような気がする。
 
 
 またマニアックな例をあげてみようw
 
 Zガンダムに出てくる「レコア」を覚えているだろうか?
 自分に何かをもたらせてくれるものを求めさまよい、
 散々利用されつくされた挙句、
 シロッコに「あれは依存心が強いだけの女だ」と言われ、捨てられた人物だ。
 彼女はただ、欲しい欲しいとわめく冷凍マグロだったわけではなく、
 ひたすらに危険な任務に立ち向かう人間だった。
 だが、その努力はいつも周囲をひかせてしまう。
 相手がどう思うかということではなく、
 自分の強烈な依存心に対する言い訳として、やらざるを得ないように
 自分を追い詰めた結果だったからである。
 
 ダメンズウォーカーに出てくる女性たちもこんな感じだろう。
 尽くしてるのに尽くしてるのに、報われない。
 ・・・なぜなら、それは単に自分の依存心を正当化するだけのものだから。
 「お金が欲しいから会員になります!」って、大金を払って
 マルチ商法にはまるようなものだ。
 
 「クレクレ」全開だと、騙されてしまうのだ。
 仮に騙されることがなかったとしたら、相手も「クレクレ」だったりして、
 一方通行な傷のなめあいになるだけだ。
 それは1+1が3やら4になっているのではなく、単に1未満が2つあるだけに過ぎない。
 
 ライアーゲーム、、
 それは、信じ合い、あるいは騙しあいという名目の「依存」しあいの状況に
 有無を言わさず引き込んだ物語であって、
 その設定自体が巨悪であると私は思うのである。
 
 人間が1+1で3やら4になるのは、求め合う「依存」ではなく、
 「与え合う」ものであると私は思う。
 
 
 
 そもそも、あの物語は、極限が描かれてないのだ。
 カンザキナオの優しさや純粋な心、自己犠牲の精神は確かに心を打つのだが、
 それは、見たこともないような金額が動く非現実的な世界だからであって、
 「負けた女性は生本番で得体の知れない男10人に輪姦されて裏ビデオとして出荷されます」とか
 そんなルールだったりしたらどうだろうか?
 そして、もしあなたが彼女の父親や恋人だったとしたら、どうしますか?
 
 「どんな汚い手段を使ってでも勝ちあがれ!」って言いませんか?
 見ず知らずの人を救うためにボロボロに汚された子を見て、
 感動するだろうか?
 すくなくとも、私は、「どっかオカシイんじゃないだろうか?」って思う。
 
 そう、あなたは、そんないかがわしいゲームに巻き込まれないように
 お金やら精神やら、いろんな面で強い人間であって欲しいと願うはず。
 
 巻き込まれてしまっている・・・・というところから始まるこのお話は、
 欺瞞に満ちていると私はおもうのである。
 |  | コメントマンガとドラマの違い ひっちぃなんとなく言いたいことが分かってきた。
 
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